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MSXとKONAMIさん


松山です。ブログのネタに困ったので、
プライベートを切り売りして何とか乗り切ろうと思います。

さて皆さん、この業界に関わるようになったキッカケは何だったでしょうか。
私の場合は、お題にあるMSXとの出会いが決定的です。

小学生時代「他所は他所、ウチはウチ」という家風から、ファミコン全盛期であるにも関わらず実家にはゲーム機がありませんでした。私は学校から帰ると、マッハでランドセルを放り投げ(同時に叱られ)ファミコンのあるクラスメイトの家にダッシュしていました。

もぅ毎日。

普段も、コミックボンボンやコロコロコミックに掲載されていたゲームの攻略情報を、穴が空くほど読み倒しつつ本体を持っていないのにエアー攻略をしていたものです。そんな私を見かねた、おかん with featuring おとんが、ある日突然「ゲーム買ったげる」と言うのです。この時の私の興奮といったらありません。(ゲーム=ファミコンと解釈した)

数日後、お茶の間にゲーム機と思しき箱が運ばれてきたのですが、私は瞬時に「何かおかしい・・・」と察しました。そう、中身はMSXという名のパソコンだったのです。この瞬間、ファミコンじゃなかったことに精神が崩壊して号泣しましたw
(これには両親の「これからはパソコンが使えないと・・・」想いがあったことを、上京して数年経ってから知らされました。同時に、そのせいでTOKYOで苦労させる結果になったのでは?という後悔があることも聞かされましたが、それはまた別のお話・・・)

買ってもらったMSXは当時9万円強するものでした。実家は本州最北端、青森県大間町です。マグロ漁師でもない(おとん国家公務員)家庭にとって、9万円は大金。でも私はファミコンじゃなかったことに不満を爆発させてしまったw なんという親不孝。

で、ここからがメイン(前置きが長いよ)。限界まで蓄積されたゲーム熱(友達のファミコンで遊ぶのは、実際のところ本位ではなかった)を発散させるため、仕方ないのでMSXに向き合うことになります。しかし、当時のゲームカセットの値段は1万円弱。お小遣い制ではなかった自分には、とても買えません。そこで私は導かれるようにBASIC言語に没頭するのです。自分でゲームを作ればいいじゃん!と。そして、パソコンはそれを叶えてくれるのだと。

実際に、ゲームとは言えないものを量産しました。30分しか遊べないおかんルールにより、ソースコードをジャポニカ学習帳に書き残すのですが、次にそのコードを読むと「なんだこれ」と思って毎回0から書き起こす日々。

小5から高2まで、このような日々を送ることになります。高校生になってからは、薪ストーブのための薪を鉈で割るという家内バイトにより、ソフトが買えるようになります。
この時期、KONAMIさんとの出会いが。おっと長くなりました。ここらで区切りましょう。

次回、MSXと今の自分との関連性、MSX-FANという専門誌に記されていた「好きなことは仕事にするべきじゃない」という掲示、そして、あ、次回のネタを燃焼してしまいそうなので自粛します。

ですので次回は更に、詳細に述べたいと思います。
否、Z80がどうだとか、そういう深い話ではないですw

大間

写真は、本州最北端にあるオブジェです。一本釣りをイメージしています。少年時代、バイク乗りの旅人をよく見かけたものです(7年前?帰省した際に撮影しました)。