MSXとKONAMIさん(その3)
- 2015年03月25日
- CATEGORY- 2. エンジニア力{思考}
松山です。前回の続きです。恐らく全国でも私一人か他数名しか体験していないであろうKONAMIさんとの逸話を紹介します。
中〜高校生あたりから薪割りの家内バイトでお小遣いが貰えるようになったことを既に述べましたが、当時の専門誌で紹介されていたゲームソフトを買おうにも地元では販売していませんでした。
そこで私がとった行動は、なんと現金封筒にお金を入れてKONAMIさん本社宛に送りつけるというものでした。(送料などの概念などないので、硬貨含めて定価ぴったりのお金)
もちろん通販制度などありません。無骨に「沙羅曼蛇」と書いたノートの切れっ端を同封しました。最初はおかんの反対をうけたものです。当然ですね。お金が返ってこないことを覚悟しろと言われました。
すると1ヶ月ほど経って、MSX専用ソフト「沙羅曼蛇」が自宅に届きました。
なんという奇跡!!!
これに味をしめた松山少年、向こう数年分の薪を生産しつつ、記憶にあるだけでも、
「グラディウス(1&2)」
「ゴーファーの野望」
「スペースマンボウ」
「コナミのゲームを10倍楽しむカートリッジ(旧&新)」
「パロディウス」
「シャロム」
「F1スピリット」
「メタルギア(1&2)」
「王家の谷 エルギーザの封印」
などなど、
これだけのROMを無断の通販で、しかも定価ぴったりで買っていたのです。最低でも13回、勝手に現金封筒を送りつけていたことになりますw
今にして思えば、ノートの切れっ端に機種やバージョンも書かず、よく目当ての物が届いたものです。買ったタイトルが当時MSX版のみ市場に出回っていたこと、定価ぴったりの金額でタイトルが特定できたことなど、あらゆる面倒をかけたと推察できますw
ちなみにKONAMIさんのソフトを買っていたのには別の理由があります。それは当時のMSXゲーム市場においてKONAMIさんのタイトルは他社のそれを遥かに凌駕していたからです。
具体的には、
・1キャラ複数色
・曲として成立しているBGMとSCC音源
・オープニングデモ
・練りこまれたストーリー
・遊び心
などがあり、当時多くあった
・1キャラ1色
・ピコピコ音が反復するBGM的なもの
・単調な作業ゲー(ゲーム=ハイスコアを競う物)
・自分でも作れそう
なタイトルとは一線を画すものでした。とは言え、KONAMIさんのMSX初期のゲームも上記と同じクオリティでした。なにか技術的な革命があったのでしょう。
(MSXの性能の低さ故に派手に動き回ってドンパチするゲームを実装できなかったため、逃げゲーのメタルギアが生まれたのは有名な話ですね。)
これについては、当時のスキルレベルで推察していた具体的なお話があるのですが、専門的かつ長くなるので次回また。
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