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無謬(むびゅう)性信仰の恐ろしさ(1)


亀井です。

無謬性なんていうあまり使わない言葉を使ってますが、
辞書で調べると、

「誤りが含まれていないということ。誤りのなさ。誤りようがない、すなわち、絶対に正しいという意味でも用いられる。」

と出てきますね。

私がこの言葉を初めて知ったのは、
隆慶一郎氏の小説「捨て童子 松平忠輝」です。

忠輝の暴君ぶりを家臣の皆川広照らが家康に「直訴」する、というくだりです。
その当時の家康と言えば海道一の弓取りと言われ、
戦の神様、「神君」と言われてるわけですね。
そして、
皆川は「神様なんだから無謬に決まってる」と思い、
直訴を思い立つわけです。

こうやって3人称で書いてしまうと、
人間が「無謬」ではないことは誰にでも理解出来ると思うのですが、
日本人の性質なんでしょうか、政治家や経営者、上司にまで無謬を求める傾向があるように思います。

政治家はもとよりなのですが、どんな名経営者も間違えます。

この記事が読まれている時点で孫正義氏が成功しているかどうかわかりませんが、
日本を代表する経営者の一人ではあると思います。
そんな彼のプロフィールを見ると失敗と間違いの歴史であることが分かると思います。

三菱財閥、三菱グループの開祖たる岩崎弥太郎が大きな成功を得るのは40歳くらいの時だったりしますが、
彼の人生にも失敗のエピソードやまもりです。

弥太郎クラスの偉人にしてその程度なんですから、
ましてや普通の上司、リーダー、自分自身が「無謬」て、
可能性としては低いのではないでしょうか?

おそらく自分自身の事を無謬であると思っている人は少数だと思うのですが、
仕事をしていて、完璧主義の方には割と出会います。
完璧主義は私から見たら無謬と一緒に見えます。ほんとにタチが悪いです。

私が完璧主義の人間を評価する事は絶対にないです。
完璧に仕事をできることなんてよほどの単純作業しかありえないんです。

私が完璧に仕事をしたいと思った場合、
まずは事前に仕事の範囲をできるだけ狭くできるだけ明確にできるだけ単純に限定する事から始めるでしょう。

理想としては仕事の量をゼロにしてしまえばいい。
そうすればミスする可能性もゼロです。
完璧に仕事が遂行できました。

不毛ですよね。評価されるわけがない。
およそ完璧にできそうにない仕事、そもそもできない類の仕事に価値があります。

そういう仕事を50%とか70%の完成度を目指して一生懸命取り組んで結果を出してくれる人を私は評価します。
(ただし結果が0%だったら評価しません。
だって結果も出してない人を私が厚遇してたら、
誰が見たって「依怙贔屓(えこひいき)してる」って思うでしょうし)。

なんせ失敗をして周囲からの評価を下げたとしてもそんなのは短期の話です。
堂々と行きましょう、あなたのエンジニア人生は長い。

かくいう私も無謬でも無ければ、人が聞いたら引くくらいの失敗をたくさんしてきていますが、
今日も元気にエンジニアしています。

この話はリスクコントロールの話とセットだと思っています。リスクコントロールについてはまた機会があれば。

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