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代表取締役 亀井大輔

まず、ケイズ・ソフトウェアの成り立ちから教えてください。

25年前に独立したときから法人でしたが、私ひとりだったので立場はフリーランスのエンジニアと同じです。変化が訪れたのは、2008年後半のリーマン・ショック。小規模で仕事をしていた私は全く影響を受けませんでしたが、周りの優秀なエンジニアから“仕事がない”“給与が遅配される”という声が聞こえてきました。優秀な彼らをこの機会に仲間に引き入れようと10名くらいの規模になったのがこの会社の本格的な始まりです。

その時点で『生涯エンジニア』という考えは持っていましたか?

今はITコンサルタント。私が独立を考えた頃はリーダー、PM(プロジェクト・マネージャー)。そういう肩書きがつかないと、エンジニアの給与は上がらないと言われ続けています。当時から、“そんなことはないんじゃないかな”と思っていました。ただ、それは私が思っていただけで、あくまでも仮説です。あるいは、私の願望といえるものでした。割合でいえば、『願望8、仮説2』でしょうか。エンジニアに対する『35歳定年説』も今以上に言われていましたね。それを35歳、45歳になって自分自身が証明するしかないと設立したのが、ケイズ・ソフトウェアです。

現在、それは証明されていると思います。

そのために私たちがやるべきなのは、続けられる仕事です。どういう仕事であれば続けられるのか。それを模索する段階では迷走もしました。たとえば、私がマネジメント領域に手を伸ばしたことがあります。会社を大きくしようと一時期は派遣業もやってみました。会社の規模は大きくなりましたが、社員のキャリア・コントロールがしづらくなり、私自身が仕事をしている暇がなくなっていました。

それは本末転倒ですね。

“何のために生きているんだっけ?”と(笑)。一生、現場で仕事するために独立したはずなのに、その時間が全くない。そこで2014年に方向転換しました。生涯、エンジニアを続けるためにどのようなキャリアパスとスキルの積み上げが必要なのか。未経験に近い若い人達を採用して、自分の仮説を実践することにしました。それから10年経っていないので私の仮説を証明できませんが、リーマン・ショックの頃に30代前半だった社員は45歳くらいになって今も現場の仕事をしています。

エンジニアが35歳定年説を乗り越えていくために、必要なものはありますか?

仕事の性質として誰でもできる仕事に居場所はないといえます。その逆を狙えるかどうか。そういう意味で、難易度が高めの仕事には居場所があります。性能の要求が非常に高かったり、要求自体がはっきりしていなかったり。若い人が苦手にしている部分に応えていくことで居場所が見えてきます。それは40代以降でエンジニアを続けていくために大事な部分です。

一方で、若手のエンジニアに求められるものは何でしょうか?

私たちが意識するのは、お客様がそのシステムで最も大事だと考えている部分を任せてもらえること。つまり、心臓部です。その部分は業績が悪くなったからといって、簡単に止められないからです。また問題が起きたときは絶対に直さないといけない。その結果、長期で関わっていくことになります。ただ、心臓部を理解するには2、3年かかります。しかし、20代にとっての2、3年はとても長いものです。待てないと言い換えられます。実際に、3カ月で一人前といわれる業界です。しかし、3カ月でできることは誰でもできます。だからこそ、まずは自分の将来像を数年先まで俯瞰して見ているか、言われたことに徹することができるか。それが若手エンジニアの将来を左右します。なぜなら、3カ月経った頃から仕事自体がよく見えてくるからです。お客様からの信頼も少しずつ得られます。

最終的に、そういう人が心臓部を任せてもらえるというわけですか?

もちろん、任せる理由はいろいろあります。最も多いパターンは、そのシステムに長く関わっているのが彼だからという理由です。細かい話をするといつ電話をしても出てくれる、お客様の目線に立った発想でシステムの進め方を考えてくれる。そういうこともありますが、やはりそのシステムに関わる最古参になるのが生涯エンジニアの近道です。もちろん、相応の時間はかかりますが、大きなトラブルがあると関わる人が減るので、早い段階で最古参になる可能性は高まります。

そんなエンジニアが集う組織に対する考え方ですが、亀井さんは「会社はダム」と言います。

リーマン・ショックが起きる前から会社がどういう役割を果たさないといけないのかは固まっていました。ビジネスをしていた父の姿を通して、会社は常に備えなければいけないという考えが根づいていたからです。一般的な会社の本質はレバレッジを利かせて、ビジネスを大きくしていくことだと思いますが、そういう意味で私は出発点がズレています。

出発点のズレ?

『エンジニアとして生涯続けられる仕事をする』。日本では、たくさんのエンジニアがそれを実現できない状況です。ケイズ・ソフトウェアがそのすべてに応えるのは無理ですが、自分の手が届く範囲でほかのエンジニアにもそういう場所を用意しようと思いました。つまり、リーマン・ショック、ITバブル、最近では新型コロナの蔓延など業界に対する影響が大きいときでも、社員が給与の心配をする必要がない。それがいい仕事するために不可欠な環境です。

完璧主義を求めないというのも特徴的な考え方ですが。

仕事柄だと思いますが、完璧主義の割合が多い業界です。リーダーやマネージャーになるとその傾向は強くなります。極端な例ですが、あるプロジェクトマネージャーは自分が管理したプロジェクトは赤字になったことが一度もないと言っていました。失敗のリスクがあるプロジェクトを引き受けなければそうなるのは当然です。しかし、私たちは失敗のリスクを抱えたプロジェクトに関わっていく方が大事です。完璧主義はそういう大切な自分のキャリアを選択する邪魔をします。

邪魔、ですか。

自分に必要なキャリアではなく、成功するプロジェクト探しになってしまうからです。私は、失敗=仕事をした量だと考えます。そういうプロジェクトに参加して、何かトラブルが起きたときに“私がちょっと調べてみます”と手を挙げる。もちろん、そこにリスクはあります。“何も分かりませんでした”という場合も多いからです。それでも自分がどれくらいのリスクを抱えるのかを把握した上で積極的にリスクを取り、失敗するときは最善の失敗をする。そういう場面で一緒に仕事をしたお客様は長いつき合いになっていきます。これも私が少年の頃に聞いた父の言葉です。“利益の源泉は、リスクだ”。リスクの周りからは逃げる人は多いので、ひとつのリスクを乗り越えると次から次に新たな依頼が近づいてきます。難易度も高くなりますが、それも面白いと私は感じています。

では、これから先のケイズ・ソフトウェアをどのように考えていますか?

2014年に方向転換して理想のキャリアを作る環境はこうだとやってきました。これからはさらによくなるところを細かく見ていきますが、今の仕組みを維持していくでしょう。ただ、維持するためには、かなりのスピードで変化させていくことがひとつのポイントです。しかも、その変化には大量のゴミが混ざっています。そのゴミを見極めて掴むべきものを取り入れてやっていく。しかし、ゴミかどうかは後になってみないと分からない場合があります。それが失敗です。だからといって、それを掴まないと現状維持はできないでしょう。失敗を恐れずにゴミも掴みながら、少しずつ変えていく。そうやって10年後も現状を維持した組織でいることを常に考えています。