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認知のゆがみ(1)


どうも亀井です。

弊社の社員が「認知のゆがみ」について書けって言ってきて困ってる今日この頃です。
私、精神科医じゃないですし・・・。
心理学の世界の言葉で言う「認知のゆがみ」って、
結構怖いですね。

ただ、彼の場合、
実際はこうなのにこう受け取っちゃってるみたいな事を見る機会が多い人なので、
そこにすごく興味を持っているのだと思うのですが。
心理学用語の「認知のゆがみ」とはちょっと違いますね。

不適切な現実認識を持った結果、不適切な選択につながるわけなんですが。

で、それについて書いてくれって言われて何が困るって、
世の中に実際はこうなんてことは無いわけです。
無謬性について書いた時にこれに近い事を書きましたが、
実際にはどうかなんてことは神様にしかわかりません。

また、不適切な現実認識が逆に適切な選択(良い結果)につながることもあります。
抽象論に終始しても伝わらないので、
一個、私の体験談をします、実話です。

SIDE A

私の高校では2年の時に担任がK先生に変わったのですが、
私と同じクラスのM君、最初の模試でクラス上位の成績を取ったんです。

K先生はM君の1年の時の成績も知ってますし、
結構やんちゃな子だという申し送りも受けてたのじゃないかと思います。

でも、最初の模試の結果を見て「お、M君というのは実は結構出来る子なんだ」と、
認識を改めたそうです。

K先生は若くて真面目でバイタリティーに富んでいて、
まっすぐな性格の人でした。

その後、M君はK先生の期待通り、そのままある程度の好成績を維持し、
難関大学に現役合格したのです。

SIDE B

なんか強烈に昭和を感じる話ではあるんですが、
私の高校は、成績順で何でも決める、
くらいの勢いのカイジ的方針を取ってまして。

成績下位者はそれなりの扱いを受けるわけです。
例えば、掃除当番は成績下位者がやります。

怒られる機会も多いわけです。
私もだいぶ掃除には自信が付きました

M君もそんな下位勢の一人だったわけですが、
彼はそんな掃除ばかりの自分の人生を改善する決意をします

そして、模試が複数の高校で実施されている事
中学時代の友達経由で前日実施された試験の内容が入手できる事
非常に有効に利用し、高2の初回の模試で華々しい成績を取ってみせるのです。

そう、M君はやんちゃだったのです。

SIDE C

卒業後、我々は何度となく同窓会を開きました。M君だけではなく、
ある時はK先生も招待して、20人くらいは集まったように記憶しています。

教室でバット振ってて怒られたH君の話やら、
私の成績いじりやらが出る中、
M君の話も暴露されることになりました。

K先生は非常に驚いていました。
「そうか。俺はMの事をやればできるやつっていう目で見て、
そういう接し方をしとった。そうやったんか・・・」
少しショックを受けたようでもありました。

K先生のM君に対する接し方や期待がM君を難関大学に現役合格させ、
一方で何の期待もされなかった私たちは・・・。

そう、先生はまっすぐな性格の人でした。
この事件はK先生の教育観に影響を与えたかもしれません。

その後、そのまま先生はそろそろ定年を迎えるかというお歳だと思いますが、
今だ(2023年現在)当時の高校で教鞭をふるっておられます。

M君もその後うまく世間を泳いでいます。

まあ、ある意味、要領はいいっちゃいいですからね

SIDE D

さて、時は戻って、高2の春です。M君、さすがにやり過ぎました。
模試で好成績と言っても、ウチのクラスの成績上位者を押しのけて、
上位5位に食い込むレベルだったように記憶しています。

真相がバレたらなんせうちの高校は当時、
カイジです。何されるかわかりません

退学ってことにはならなかったと思いますが、永遠掃除当番はあり得た
辻褄を合わせるためにその後、彼はテスト勉強だけは必死でやるハメになりました。

結果的にはそのことが彼を難関大学合格に導いたのでしょうか。

どっちにしろ彼の視界の中にはK先生は無く、
まあ、あえて視界に入っていたとするならば、
K先生のげんこつだけが入っていました。
※ そういう時代です

SIDE E

一方、何の期待もされなかった私たちですが、
その後どうなってしまったのでしょうか?

もちろん全員が順風満帆、いいことばかりとは言いません。
が、特にK先生の期待とは無関係にわりといい感じにやっております。

結論

話が長くなりました。この話におそらくそんなに
認知のゆがみって無いように思うんです。
すべて現実だと思います。

この事件はK先生の教育観にはおそらく影響を与えたことでしょうが、
我々の人生に何らかの影響を与えたか、
我々にもわかりません。

結局のところ、
何が現実かを考えることにそんなに意味はないと思います。

世の中の仕組みを知ることは大事です。
ただその仕組みは光を当てる方向が違うと違って見えるんです。

認知の話だけで随分長くなってしまいました。
今回はこの辺で。また時間があれば続きを書こうと思います。

【関連記事】
認知のゆがみ(2)
認知のゆがみ(3)