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秀長に学ぶ(7)


亀井です。

秀長というより完全に信長の話になってしまいますが、

ここまで来たら私の一番好きなエピソードについて触れずにはいられないということで、

「金ヶ崎の退き口」です。

 

信長も結構負け戦をやってまして、元亀元年(1570年)、

朝倉義景討伐のために越前に攻め入ろうとした信長ですが、

同盟関係にあった浅井長政が裏切り、

突如後背から襲った、

という戦です。

この時の撤退戦はすさまじいもので、

この撤退戦をさして「金ヶ崎の退き口」と言いますが、

織田軍全体の撤退も至難であれど、

この浅井長政の裏切りは信長にとってはまったく想定外、

「いやいや、なわけw」と最初は信じなかったほどです。

しかし、次々と情報が入り、

この裏切りが確実であることが明らかになります。

 

さて、ここからがこの本の引用です。

明らかに信長は、数々の誤算を犯した。だが、この危機に直面した信長の決断と行動
はまことに凄まじい。
「逃げよう」
信長は咄嗟にそう決めた。
「退く」というようなものではない。少数の護衛だけを従えて馬にまかせて湖西を駆け
抜けるのだ。信長は「浅井、六角蜂起」の報せで湖畔の小豪族や土民が叛かぬうちに通
り抜けるのが最も安全だと考えた。そしてその背景には、
<わしが生きている限り織田家は存続する。必ず朝倉、浅井を討伐出来る>
という強烈な自信があった。
織田信長のこの決断は、何が大事かを知る人間のみに出来る英断といってよい。この
時代の戦さでは勝敗を決する最大の要素は主将の生命だ。主将が討たれては数万の軍が
無傷でも負けである。桶狭間の合戦では今川義元が殺されたために前後にいた二万余りの
今川軍は無傷のまま退却し、やがて霧散してしまう。その事を考えると、信長が我が身
の安全をまず第一に考えたのは、「負けないための措置」としても正しい。下手に見栄
を張ったり部下を惜しんだりしなかった所に、信長ならではの「見切り」の見事さがあ
る。いわば「負のハートランド戦略」だ。

堺屋太一氏の文章、素晴らしいですが、

この時、信長は瞬時の判断でとんでもない損切をするんですね。

「自分以外すべて」を損切したのです。

株で100万とか1000万とか損して損切出来ない人って普通にいると思います。

むしろ「それが人間」と言いますか・・・。

この時の信長の判断は常人が出来る判断ではない、と。

「悩んだ末」の判断では無いんです。

少しでも悩んでいれば、

「浅井、六角蜂起」の報を聞いた小豪族や土民が信長の命を狙ってきます。

本能寺の変で信長を討った明智光秀ですが、その後、秀吉と一戦した後、

戦場から逃げ出すことには成功しているのですが、

結局落ち武者狩りに殺されてしまいます。

当時って畿内はそんくらい治安がやばいんです。

「負のハートランド戦略」と堺屋太一氏は言っていますが、

(しつこいですが)この浅井長政の裏切りは全く信長の予想外の事態で、

事前に心の準備はしてません。

信長は「フロム・スクラッチ」で「何が大事か」を瞬時に考え、

「ハートランドはおのれ自身」

と結論をだし、実行するのです。

 

第2次世界大戦において、ガダルカナルにダラダラと戦力を逐次投入して、

結果として数万人の兵だけでなく、

軍艦、航空機を大量に失った日本軍。

対照的です。

 

信長、意外といろんな戦に負けてますし、

ピンチに陥ったことも多いです。

負け戦に弱いと一発で致命傷を負います。

信長みたいな判断力は常人には持てないでしょうが、

「(自分にとって)何が大事かを知る人間」

ではいたいものですね。

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