ゴールなんて無いことを「永遠のゼロ」から学ぶ
- 2023年03月20日
- CATEGORY- 2. エンジニア力{思考}
亀井です。
歴史というか、歴史小説が好きな私です。
「永遠のゼロ」はご存じ零式艦上戦闘機(通称「ゼロ」)を大きなテーマに取り扱った小説です。
おススメです。
この小説の中で書かれていることは一部(大部分?)史実が入ってるわけですが、空想でもちょっと作れないくらいに面白いです。「あの戦争」の事をなんと呼称するのが正しいのかは諸説あると思いますが、「あの戦争」は大体日米開戦した1941年12月8日ごろに始まり、玉音放送のあった1945年8月15日ごろに終わったものです。つまり、たったの3年半くらいの期間なんですね。
この小説の中では「ゼロ」のパイロットが「ゼロ」がいかなる戦闘機だったかを回顧してくれます。
開戦初期の頃の「ゼロ」は以下のような戦闘機でした。
零戦は素晴らしい飛行機でした。何より格闘性能がずば抜けていました。すごいのは旋回と宙返りの能力です。非常に短い半径で旋回出来ました。だから格闘戦では絶対に負けないわけです。それに速度が速い。おそらく開戦当初は世界最高速度の飛行機だったのではないでしょうか。つまりスピードがある上に小回りが利くのです。 本来、戦闘機においては、この二つは相反するものでした。格闘性能を重視すると速度が落ち、速度を上げると格闘性能が落ちます。しかし零戦はこの二つを併せ持った魔法のような戦闘機だったのです。堀越二郎と會機嘉年という情熱に燃える二人の若い設計者の血のにじむような努力がこれを可能にしたと言われています。~中略~
しかし零戦の真に恐ろしい武器は実はそれではありません。航続距離が桁外れだったたことです。三千キロを楽々と飛ぶのです。当時の単座戦闘機の航続距離は大体数百キロでした から、三千キロというのがいかにすごい数字か想像つくでしょう。
なんだこの最強戦闘機は!この戦闘機が存在したことが日本にとって良かったのか悪かったのか、作中で存分に語られるわけですが、
「まさに無敵だった」
とパイロットが言っちゃうくらいの戦闘機だったわけです。
さて、この「たった3年後」の事を別の「ゼロ」のパイロットが回想したのがこちら。
(米国の新型戦闘機である)P51はすごい戦闘機だった。あれはまさに怪物だった。
手強いなどというものではなかった。(自分が機乗している)零戦との性能はもうそれこそ大人と子供くらい離れていた。P51の巡航速度は時速六百キロ。零戦は最高速度でさえ六百キロは出ない。巡航速度というのは最も燃料消費が少ない飛び方で飛んだ時の速度だ。ちなみに零戦の巡航速度は三百キロ少々だ。P51の最高速度は七百キロを超えた。防弾も武装も零戦をはるかに上回った。しかもこの化け物は硫黄島からゆうゆうと本土まで飛んで来て、そこでたっぷりと戦闘してまた硫黄島に戻っていくのだ。かつて零戦が飛んだラバウル、ガダルカナルよりも長い距離をやって来るのだ。P51の高高度性能は抜群に素晴らしく、高度八千メートルでも楽々と空戦をこなせた。日本の戦闘機はその高度だと、飛ぶだけで精一杯だ。酸素の薄い高空で発動機は悲鳴を上げた。それに搭乗員は寒さで、とても空戦どころではない。操縦席には酸素マスクはあったが、防寒設備はなかった。マイナス何十度の世界に耐えられる操縦席 ではない。だからP51がB29の護衛についている時は、俺たちは完全にお手上げだった。高度八千メートルでP51に勝てる戦闘機はこの世に存在しない。
俺たちは必死で戦ったが、毎回、邀撃に飛び立った我が軍の戦闘機は無惨に墜とされた。
自分の身を守るだけで精一杯だった。しかも相手は零戦よりはるかに性能で上回るグラマンF6Fやシコルスキーだ。せめて敵と同数の味方機がいれば少しは戦えただろうが、多勢に無勢となれば、まず勝ち目はない。
こちらが敵の一機に喰らいついてもその瞬間に別の敵が背後につく。目の前の敵機を撃ち続ければ撃墜出来るだろうが、自分も死ぬハメになる。それに敵は少々撃ったぐらいでは墜ちないが、こちらは一発でも撃たれればおしまいだ。
同じ戦闘機の話なのか?と思うくらい話が変わってますね。
1945年にはもはや「ゼロ」はこうなってたわけです。多少の誇張はあるように見えますが、書いてある事は大体史実と思われます。
いやゆーてですよ、わずか3年でこうなるとはフィクションでもこんなに極端な設定にはしないでしょう。「P51の巡航速度は時速六百キロ。零戦は最高速度でさえ六百キロは出ない」なんてもう、ドラゴンボールじゃないですか。「ゼロ」のパイロットが寒さに震える高度8000メートルですが、運動性能が変わらないことはもちろんなんですが、なんとP51には暖房がついてたんですね、素晴らしい。
しかも、「敵は少々撃ったぐらいでは墜ちないが、こちらは一発でも撃たれればおしまい」まじかよ・・・。
さて、「ここからその結論に持っていくのか?」というアクロバティックな結論ですが、よく「一人前のエンジニアになって一人称で仕事出来るようになりたい」とか「フルスタックが・・・」どうのこうのと言われることがあるのですが、マンガのような最強戦闘機ゼロですら、わずか3年でこうなってしまったわけです。
一生懸命頑張ってる人って他の人も一生懸命頑張ってることを忘れちゃうのかなと思うのですが、一人前になったり極めたりすることって、この仕事では無さそうです。特別な才能に恵まれてる人だけが実現可能なキャリアパスってキャリアパスとして成立してないですよね。
逆に一生一人前にならなくても、極めなくても、この仕事を続けられる方法を見つけた方が現実的なんじゃないかと思っています。
私も一流でもナニモノでもないですが、楽しくやれてます。安住の地みたいなものが仕事面で欲しい人は「医者」一択ではないでしょうか。
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