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死ぬこととみつけたり


さて、今回は私の大好きな隆慶一郎先生の著作「死ぬことととみつけたり」について書きたいと思います。

この本は、若かりし頃から今に至るまで何度も読み返して、
いつものごとく「娯楽小説」として楽しんでいるのですが。

私の記憶では彼の著作は全部、戦国歴史物です。
共通しているのは「漢(おとこ)の生きざまを描く!」という事です。

少年ジャンプで連載マンガになって有名になった「花の慶次 -雲のかなたに-」は、
「一夢庵風流記」という彼の小説が原作です。

このマンガから隆慶一郎に入門した人もいるのでしょうか。

「死ぬこととみつけたり」は、江戸時代の「葉隠」という著作を隆慶一郎が
大胆に「面白い話」として翻案した小説です。

常住坐臥、死と隣合せに生きる葉隠武士たち。佐賀鍋島藩の斎藤杢之助は、「死人」として生きる典型的な「葉隠」武士である。「死人」ゆえに奔放苛烈な「いくさ人」であり、島原の乱では、莫逆の友、中野求馬と敵陣一番乗りを果たす。だが、鍋島藩を天領としたい老中松平信綱は、彼らの武功を抜駆けとみなし、鍋島藩弾圧を策す。杢之助ら葉隠武士三人衆の己の威信を賭けた闘いが始まった。

amazon の吊り書きより

まあ、って感じの楽しそうな歴史小説なわけです。

「葉隠」自体は「江戸時代に武士に向けて書かれたビジネス書」
というのが大体合ってる説明だと思うのですが、
各時代に色んな解釈(曲解?)をされてきた書籍でもあります。

有名な一節です。

原文

二つ〳〵の場にて、早く死ぬ方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわつて進む也。(中略)二つ〳〵の場にて、図に当たるやうにする事は及ばざる事也。我人、生る方がすき也。多分すきの方に理が付べし。若図に迦れて生たらば、腰ぬけ也。此境危ふき也。図に迦れて死たらば、気違にて恥にはならず、是は武道の丈夫也。毎朝毎夕、改めては死々、常住死身に成て居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕課すべき也。

現代語訳

どちらにしようかという場面では、早く死ぬ方を選ぶしかない。何も考えず、腹を据えて進み出るのだ。(中略)そのような場で、図に当たるように行動することは難しいことだ。私も含めて人間は、生きる方が好きだ。おそらく好きな方に理由がつくだろう。(しかし)図にはずれて生き延びたら腰抜けである。この境界が危ないのだ。図にはずれて死んでも、それは気違だというだけで、恥にはならない。これが武道の根幹である。毎朝毎夕、いつも死ぬつもりで行動し、いつも死身になっていれば、武道に自由を得、一生落度なく家職をまっとうすることができるのである。

wikipedia より

これだとまだ長いので、私の超訳は以下です。

楽な道と厳しい道があった時に、無条件で厳しい道を選ぶという心構えを毎朝、毎夕するのが良い。そうしておけばそも人間は誰しも楽がしたい。結果としてちょうどよい道を選択することが出来る。そうしていれば逆に迷わず自由に選択でき、充実した人生を送れるのだ。

これ、メンタルをコントロールする、というネタで以前使いましたが、
わりとあまのじゃくな私の性格にもマッチしてたんですね。

隆慶一郎氏が小説を通じて説く、
「格好のいい漢(おとこ)の生き方」に割と影響受けた人生を過ごすことになりました。

実践できてるかどうかはさておき、

  • 勝ち馬に乗るのはダサい
  • 負け戦こそ漢(おとこ)の最高の戦場

ちゃな感じの価値観ですね。

殿様の機嫌を損ねるような進言をして、殿様をマジ切れさせて、殿様に切腹を命じられるのは最高のご褒美

という理解の難易度高めな価値観もあるんですが、
まあ、説明が面倒くさいので省きます。

ある程度この「美学」に沿って行動をしていくと、
結果として少数派の選択をすることになり、
意外と高確率で「ライバル不在」の分野で生きることになりました。

割と私の人生を楽しくしてくれた気がしてて感謝してます。
さすが「ビジネス書」です。

じゃ、どういう風に現実世界に応用するのか、いくつか実例を挙げてみましょう。

羽振りのいいひとにはついていかない

小学生みたいですいません。でもまあ、
実際、すっごい金持ちっぽい空気感出してきて、
「俺に良くしといたほうが得だよ?」
っていう感じの、悪い大人、世の中にわりと居るんですよね。

詐欺被害を随分避けられたと思います。

ただ、付いて行っていい思いが出来た可能性もあるので、
引き分けですかね?

流行りものの技術とか会社にはついていかない

上とほとんど一緒ですが、勝ち組に乗っかろうという発想、
ダサいですね。
・・・なんか多方面に敵を作るような気がしますが、
これは私の意見じゃなくて、
「葉隠」に書いてあることなんで、という事で・・・。

ちなみに、「そんなこと言って、お前 Java エンジニアじゃねーか」って
ご指摘もあろうかと思うんですが、
最近 Java に触れる機会も減ったとはいえ、
それはその通りなんですが。

私が Java いじり始めたのはバージョン1.0.2の時です。
その時に Java やってた人て日本にほとんどいなかったんです。
流行っても無かったと思います。
・・・と釈明しておきます。

ちなみに、プログラマーという仕事も、
当時は3Kを超える7Kだみたいな感じでした。

1980年代終わり、学生が就職活動で敬遠する職場の理由「危険」「汚い」「きつい」をカ行で始まる三つの理由であることから3Kと呼び、流行語にもなった。その派生語で不人気なIT企業を意味する新3K(3Kの汚いが帰れないに変更)という言葉が2005年以降使われるようになる。7Kとはそこへ更に「規則が厳しい」「休暇がとれない」「化粧がのらない」「結婚できない」という4項目が付け加えられたもので、新3K同様不人気なIT企業を意味する言葉である。

負け戦=炎上プロジェクト

炎上プロジェクト、いいですね。どんどん人が減っていきます
炎上プロジェクトに勝ちは基本的にありません。
なので、最善の負け方で着地させる
という事になります。

自己満スキルが高くないとメンタルが厳しいという問題はありますが、
満足感が大きいです。

ごくたまに勝ち戦に変えられちゃう時があります。
「あれ、これ、戦況は絶望的やけど、100手先に勝ち筋が見えるんやけど・・・」
という時があるんですね。
90手くらいまで半信半疑なんですけど、
結局勝ちに終わった場合の刺激のレベルはかなり高いです。

これぞ戦争芸術・・・と自己満出来ます。
※ ここでもハイレベルな自己満スキルが必要です。

負け戦=トラブル

人的なトラブルっていう事もありますが、
主にシステムトラブルの話です。
自分の面倒見てるサービスにトラブル起きると、
「戦場や!」
という気持ちが盛り上がります。

トラブルって突発的に起きますから、
事前準備が出来ません。
それが発生しちゃってるからには、
そういう想定もしてなかったという事です。

想定してなくて、事前準備も出来ない状況
いいですね。

歴史に残る名将の共通した特徴として、
「事前に立てる作戦がざっくりしてる」、
「行き当たりばったりに見える」、
というものがあります。

カルタゴの「雷光」ハンニバルとか、
「越後の龍」上杉謙信
とかですね。

そんな彼らは遭遇戦にも強いです。

そうぐう‐せん〔サウグウ‐〕【遭遇戦】
前進中の軍隊が、敵と不意に遭遇することによって起こる戦闘。

デジタル大辞泉より

トラブルこそまさに遭遇戦じゃないですか。
名将気分を味わいながら完全にケースバイケースで対応を進めます。

トラブル対応って、
嫌がる人の方が多いので、
好んでやってるとトラブル対応の仕事の方から寄ってくるようになります。

いくらケースバイケースとはいえ、数こなしてると、
解決のための持ち駒が増えてくるんですよね。

技術的に解決する一本やりじゃなくて、人的に解決したり、
そもそも解決を慌てなくていい状況に持っていったり、
などなど。

ますます楽しくなるという良循環が生まれます。

技術的な知識を深めるのにもっとも速い方法がトラブル対応でもあります。
これもわりと私の人生にプラスになってくれたと思います。

ちゃなことで、これからも葉隠な人生を歩んでいきたいと思います。

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