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雷光ハンニバルに学ぶ


亀井です。

私の好きな歴史上の人物、雷光ハンニバルの事を少し書きます。

戦史上、世界名将(指揮官)ランキング上位に入るような人っていうのは、
共通した特徴があります。

事前にあんまり細かい作戦を立てない

って事です。

緻密に作戦を作ってないと出来なそうな作戦も、
よく見てみてると、「あれ、これ事前に立てた作戦じゃないな」
と気が付かされることがあるんです。

歴史上の名将ランキングナンバーワン?

歴史上の名将ランキングナンバーワンじゃないかなーと私が思ってるのは、
カルタゴの雷光ハンニバルなんですけど、

ハンニバル・バルカ(Hannibal Barca, ポエニ語: , 紀元前247年 – 紀元前183年/紀元前182年)は、カルタゴの名将。ハミルカル・バルカの長子。ハンニバルは「バアルの恵み」や「慈悲深きバアル」、「バアルは我が主」を意味すると考えられ、バルカとは「雷光」という意味である。

第二次ポエニ戦争を開始した人物とされており、連戦連勝を重ねた戦歴から、カルタゴが滅びた後もローマ史上最強の敵として後世まで語り伝えられてきた。カンナエの戦いにおける包囲殲滅は戦史上の金字塔として名高い。2000年以上経た現在でも、その戦術は研究対象として各国の軍隊組織から参考にされるなど、戦術家としての評価は非常に高い。

wikipedia より

いやいや、アレキサンダー大王の方が上やろうとか、
まあこの手の不毛な話は置いとくとして、
彼の代表作(?)は wikipedia によるとカンナエの戦いのようです。
まあ、やっぱり代表という事になると私もカンナエの戦いになるのかなと思います。
すごすぎるんですが、文章で説明しにくいので、
図を多用したとことか、
Youtube とかでぜひ。
ここでは割愛します。

ローマと戦争しちゃう

そもそも、よく当時のローマと戦争しようと思ったなというとこからあるんです。
当時のカルタゴはもちろん大国で、
かき集めて10万人ほどの動員が可能だったようです。

一方で、ローマの動員可能兵力は、同盟都市も含めると100万人という
カルタゴの実に10倍。

しかも、第一次ポエニ戦争で、カルタゴは制海権も取られてるんですね。
で、陸上ルートは当時、
史上誰も超えたことが無いアルプス山脈にさえぎられ、
攻めようがない。

なんでローマと戦争しようと思ったの?って話です。

カルタゴとローマの位置関係

ちょっと、当時のローマとカルタゴの地理関係の把握からはじめましょう。

ハンニバルの行路を示した地図です。ローマがどこにあるかご存じだと思いますが、
カルタゴは北アフリカにあり、
地中海の北側、スペインの方にカルタゴ・ノウァという飛び地を持ってました。

ただし、カルタゴ・ノヴァとローマの間は前人未到アルプス山脈がさえぎっており、
海沿いのルートは細く、制海権もローマが持っていますので、
普通に考えたら陸路は無理です。

まじでなんでローマと戦争しようと思ったの?
って話なんですが、ハンニバルは守勢に回るどころか、
ローマのあるイタリア半島に侵攻する
という手に打って出ます。

どうやって?

っていう話なんですが、まあそれしか無いんですが、
アルプス越えをやっちゃうんですね。
不可能なはずだったんですけどね。
なんなんすかね。

アルプス越えは、イタリア半島にたどり着く唯一のルートでした。
これは前例もない事、ハンニバルにしても
「個人レベルで超えたやつがいるんだから軍勢が越えられないはずがない」
という程度の確信しかなかったんじゃないかと思いますが。

結果としてたぶんアルプス越えはハンニバルの予想を超えた
難易度だったのではないでしょうか。
ハンニバルはここで数万の将兵を失います

普通ならハンニバルの方が殺されると思いますが、
それでも完遂したのは彼の尋常じゃない統率力を示しています。

その後現在に至るまでこのアルプス越えをやったのは、
このハンニバル以外にはカール大帝とナポレオンだけです。

戦略なのか?行き当たりばったりなのか?

まー、アルプス越えもすごいんですが、
その後のハンニバルのやりたい放題の様子は、
上のハンニバルの行路を示した地図の、
イタリア半島を縦横無尽に行軍してる様で読み取れると思います。

補給もないのに、敵地のど真ん中で、
100万人の動員力を誇るローマ同盟相手に、
このやりたい放題です。

こわすぎます

アルプス越えもカンナエの戦いもすごいですが、
トラシメヌス湖畔の戦いが彼のすごさを
わかりやすく伝えてくれるなーと私は思っています。

この戦い、結果から言うと、ハンニバルは敵地ど真ん中のトラシメヌス湖畔で、
わずか3時間で2万5000人のローマ軍を消滅させるという、
離れ業をやってのけます。

彼は地形、敵の布陣、当日の濃霧
すべてを利用します。特に勝負を決定的にしたのは濃霧でした。

いやいや、「濃霧」って。
ハンニバルが気象操作能力持ったシャーマンじゃないと無理でしょう。

当日、地形、気象、敵の布陣を見たうえでのアドリブですよね。

彼が「戦略」を立ててるのは間違いないですよ。

制海権も無い中、100万人の動員力を誇るローマ相手に
守勢に回ってもじり貧だ。
ローマ本国のあるイタリア半島を荒らしまわって、
同盟諸都市の離反を誘い、
ローマ同盟自体を瓦解させよう。

っていうところじゃないですかね?たぶん。

でもそれ以上の部分って、
どこまで事前に計画できたんですかねえ。

ローマ側もファビウスやスキピオといった
歴史に残る名将を繰り出して、
史上初の戦術を続々繰り出してきてるわけです。

そんなものまで織り込むのは不可能でしょう。

なので基本的にアドリブと考えて良いと思います。

秀長とは対照的?

こういう風に書いていくと、私が以前書いた秀長とは
もしかしたら対照的なタイプに見えるかもしれません。

ただ、100戦以上して一度も崩れることが無かった彼の参加した戦に、
偶発的な事態が一度も無かったわけはありません。

彼はアドリブも効きます。
堺屋太一氏の小説を読む限りは、ですが(笑)

戦況の変化や状況に合わせた対応に一片のけれんみも無いから、
島津のような戦の鬼たちも付け入るスキが無かったわけです。

陽動にうかうかと乗って前線に間隙を作るようなことは一度もなく、
兵站を襲撃させるような甘い補給計画を専門家である彼がおかすはずもなく。

くわえて彼は人並外れた忍耐力を持っていました。
じれて動くなんていうミスは決して犯さず。

その時点で、ありとあらゆる困難な戦(いくさ)を
戦史に記録されているだけでも100戦以上、
一度も崩れることなくこなしてきた彼には、
どんな状況でもその場にとどまり判断力を失わない、
勇気がありました。

人生と一緒?

私が彼らの戦史や歴史を見ていて勉強になるのは、
彼らがしっかりした戦略は立てるけど、
戦術は基本的にアドリブっていうとこです。

ちなみに、戦略と戦術の違いなんですが、
めっちゃざっくり言うと、
戦略が大計画、戦術が小計画っていう感じでしょうか。

いくらアドリブだつっても、しっかりした戦略ありきなんですよね。
ハンニバルの驚異的な戦争の数々も、彼の驚異的な戦略、

ローマ本国のあるイタリア半島を荒らしまわって、
同盟諸都市の離反を誘い、
ローマ同盟自体を瓦解させよう。

これありきなんですよね。

これが間違ってたらいくら戦術が優れてても
意味ないわけです。

これは人生でも仕事でも一緒だと思います。

まず、適切な戦略を立てる事。
その後はアドリブを効かせる事。

アドリブを効かせるっていうのは、
ここではちょっと一般的な言葉とは違う意味で使っています。
状況を無視して戦争しないって意味です。

ハンニバルはトラシメヌス河畔で、
地形、敵の布陣、当日の濃霧を利用しました。

これ、当たり前の事のように思えますが、
意外と現実の世界とか仕事だと、

「地形がこうであれば・・・」
「敵の布陣は普通こうだろ!」
「濃霧なんてダメだろ!」

このレベルの事を言ってる人は多いんですよね。

わかりますけど、地形は変えれません

適切な戦略も立てない、状況も無視する。

勝率低そうですよね。

他人の成功話を聞いてその通りにやってるのに
全然うまくいかない。

これ、戦略を間違って受け取ってしまってるか、
その人とは状況が違うか、
だいたいどっちかだと思います。

まーそんなようなことで。ハンニバルに学び、
人生、仕事、プロジェクト、トラブル対応の一個一個に対して、
適切な戦略とアドリブを決して忘れずにやっていきたいなーと
思います。(結論が弱い)

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